2018年11月タイ旅行-1

平日残業して会社を出て、家に帰り荷物をまとめ、東京駅に向かった。

東京駅と歩いていける隣の神田駅周辺は、24時間営業の店が結構ある。 

f:id:aroina:20190921224951j:plain

24時間営業の店に行き、朝4時まで待った。わざわざ朝の5時発の東京シャトルに乗るためだった。しかし、成田空港第3ターミナルの出発ロビーは24時間開いており、無料で朝まで待つことができるのをこのとき知らなかった(ただし座るところが空いていればだが。平日なら空いてそうだが)。

今、東京シャトルの時刻表を見ると、東京駅発1:30発、1:50発、2:10発とある。今後は、このうちのどれかに乗って、第3ターミナルの出発ロビーで朝5時(第2ターミナル営業開始時間)か6時(第1ターミナル営業開始時間)くらいまで待って、第1ターミナルや第2ターミナルへ移動する、という方法も取れることを覚えておきたい。

あと、なんでわざわざ東京駅から成田空港行のバスに乗るのか?という疑問についての回答は、運賃が900円(※注意 2日前までの事前予約必須)で座っていけて楽だから、が回答になります。

4時すぎにバス乗り場行き、5時発予約のメールを見せると、次の4時半発のに乗ってOKとのこと。

高速道路も混んでいなく、すぐに成田空港に着いた。時間がいっぱいあるので、まだ降りたことのない第3ターミナルで降りてみることにした。

f:id:aroina:20190922095515j:plain

第3ターミナルに入ってみた。本屋があり、既に営業していた。カウンターの前にあるソファのようなところでは人が寝ていた。フードコートにも人がまあいる。空きを探して座れるという感じだろうか。コンビニもあった。天井が配管むき出しだった。(これは工事中なわけではなく、コスト削減のためだそうだ。別に違和感などは感じない。こういうものだと思う)

 

f:id:aroina:20190922100629j:plain

陸上のトラックのライン線のような道しるべが書かれている。ちなみに、上の写真では、赤のライン上には、第2ターミナルまで590mと書かれている。この赤のライン上を歩いてエスカレータで下に降りて、そのまま赤のライン上を歩いていけば、第2ターミナルに到着する。かなり歩くがこのくらいなら良い運動だろう。

 

f:id:aroina:20190922101914j:plain

第3ターミナルから第2ターミナルまで赤のラインの上を歩いていた途中にあった看板だ。立ち止まってじっくり読んでしまった。

ついこの間まで、羽田空港から直行便で海外へ(韓国だけは行けたはず)行けなかった印象がある。海外へ行くには、大抵は成田空港まで行く必要があった。

そうそう自宅から成田空港までが小さな旅だよな、とは思う。だからと言って、今はわざわざ面倒な方を選ぶことはしたくないが、1990年代くらいにタイに行ったことやその当時読んだ(今も読み返すが)旅の本の内容が思い浮かんだ。

 

f:id:aroina:20190922104304j:plain

f:id:aroina:20190922104314j:plain

f:id:aroina:20190922104326j:plain

83ゲートから乗り込む。定刻よりも遅れてプッシュバックした。日本人の女性のCAもいた。41Aシートは窓側に余裕がある。787だが、シートにも壁にもディスプレイはない。どこを飛んでいるのかルートを確認したくなる。おならがしたくなるがうまく自席でできず、トイレに行って大をするのも落ち着かない気がして、面倒で、我慢しながら乗っていた。食事も水も出ない。暇であるが、読むもの等を持ってこなかった。寝ては起きるを何度か繰り返したが、まだ着かない。おならを我慢し続けたので、腹が変になってきた。自分からいろいろ我慢しているが、「我慢のフライト」というフレーズが思い浮かぶ。

 

f:id:aroina:20190922110046j:plain

これまでずっと海上を飛び続けてきた南シナ海上空から、ついに陸のインドシナ半島ベトナム)に今突入するというところで写真を撮った。

 

f:id:aroina:20190922111706j:plain

定刻よりも遅れて出発したが、なぜか定刻よりも早くに到着した。

ドンムアン空港は10年以上来ていない。懐かしい。

ライオンエアの737-900ERが止まっている。(この写真を拡大して、機体後部に書かれている機種名を確認した)

出入国カードに記載したいのだが、ボールペンをもってこなかった。(シャーペンはあったが、消えてしまうシャーペンではダメだろう)。出入国カードを書く机の上に、ボールペンがない。仕方なく、若いかわいい女性の係員から青のボールペンを借りて書いた。

イミグレーションは、まったく混んではいなかった。