脱努力教

格言やことわざ、偉人や成功者の言葉などをしばしば目にする。

自分と比較し、やる気を奮い立たせるか、どうせ自分は…と思うか。

もうひとつの見方は、そういう格言や言葉の後に

「とは限らない」という言葉をつなげてみることだ。

努力教の呪縛から、少し自由になれ、気が楽になれる。

そういう偉い人たちも人間であり、神ではない。

ネガティブなところも持っているだろうし、たまたまやってみたら

うまくいったのかもしれない。

努力教の人と、努力教でない人の、運の見方には違いがある。

どこまでが運か、どこまでが運ではないかの線引きに違いがある。

生きているということだけでも、これは運ではないかと私は思う。

生存競争や厳しい環境が前提にあるから、努力教的になってしまうのだろうか。

暇な人生を面白くしたいからだろうか。

不安な人生から逃れたいからだろうか。

寂しい人生を忘れたいからだろうか。

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