車のディーゼルエンジン(ターボ付き)

30年以上前の乗用車のディーゼルエンジン(ターボ付き)とガソリンエンジン(ターボは無し)を比べたとき、以下のようなメリット、デメリットが印象としてあった。

 

ディーゼルエンジン(ターボ付き)が左、ガソリンエンジン(ターボ無し)が右になる。

馬力 △ 〇

トルク 〇 △

燃費 〇 △

価格 △ 〇

エンジンの振動や音 △ 〇

 

今では、以下のように変わった(燃費と価格は変わっていないが)印象だ。

馬力 〇 〇

トルク ◎ 〇

燃費 〇 △

価格 △ 〇

エンジンの振動や音 〇 〇

 

今では、ディーゼル(ターボ付き)とガソリン(ターボ無し)の差がそれほどなくなってきている感じがする。長期使った場合のトータルでのコストは、ディーゼルが安そうだが。しかし細かく比較検討してみないとわからないし、将来、法律や燃料代や税金や何かが変わってしまって逆にトータルコストが高くなるかもしれない。

しかし技術の進歩(当時はできなかった、または、できてもコストがかかりすぎていたことが、今はそれほどコストがかからずにできるようになったこと)に改めて驚かされた。

VWの排ガス不正の事件は、大変に残念だったが、それがあっても当時のディーゼルエンジンに比べて確実に進歩してきたことは事実なのであるなぁ。

ディーゼル縮小の動きがあるが、もったいない気もする。

商用車、バス、鉄道、船舶、工業用機械でのディーゼルエンジンの縮小もあるのだろうか。石油がなくなれば、ガソリンもディーゼルもなくなってしまうのだが、明確に石油が無くなりますという状況になるまでは、両方とも技術開発は続きそうですなぁ。

それにそういう技術は、何か別の技術へ応用できるかもしれないので、無駄ではないはず…

Art of Noiseの『Robinson Cursoe』を知った経緯など

私が初めてArt of Noiseの『Robinson Cursoe』を聞いたのは、宜保愛子さんの特番のエンディングで流れていたのが最初である。当時小学生か中学生だったと思うが、良い曲だなと思ったが、誰の何という曲かは分からなかった。(その点、今は、インターネットで適当に検索すれば、だいたい曲名が分かる。良い時代になった)

『みなさんのおかげです』で宜保さんの特番のパロディをやっていたが、同じくこの曲が使われているのを見て、よくマネしたなぁと思った。

それから松田聖子さんと小泉今日子さんの富士フイルムの化粧品のCMでも同じ曲が使われているのをテレビで見て「あ、宜保さんの番組と同じ曲だ」と気づいた。

で、インターネットで『Robinson Cursoe』を調べてみれば、城達也氏の「ジェットストリーム」というFM番組のエンディングでも使われていたとのことだ。(私は、この番組は聴いたことはない)

さらに、Mr.マリックの特番で流れていた所謂マリックのテーマ曲が、Art of Noiseの『Legs』という曲であるのも、当時テレビで聞いてから、何十年も経って、インターネットで曲名を知ったという、要は、インターネッツって便利で、知りたいことがすぐに分かってしまう、私が子供の頃には考えられなかったサービスが世の中に出てきたんだよなぁとも言いたかったんす。以上!

具体的なやり方は自分で探して、試してみるしかない

世間で売っている本で、「〇〇のやり方」とか「〇〇になる方法」とか、個人的に是非とも体得したい「自分を変える方法」とか、読むだけでは、ほとんど効果がないと思われる。

頭では分る(理屈は分かる)が、感覚として納得できない(感情は無理している)、または、理性で抑えられないので、どうしようもない。

酒を飲むと、速攻で自分の気分を変えることができる。が、これは危険な方法だ。薬物に頼る方法である。方法としては、覚せい剤に頼るという方法と何ら変わりはない。

歳を取ると、若いときと比べて、怒りの沸点が高くなってきている、または怒りの内容が変わってきているのは実感としてはある。しかし完全に怒りやイライラがなくなることはない。

時間をかけて休めば、そのような怒りやイライラは解決に向かうが、仕事は基本土日以外、毎日ある。

「自分の好きなことをして、気持ちを変える」方法くらいしか思いつかないが、イライラしているときや、残業で時間がないときに、自分の好きなことができるのだろうか。

自分の好きなことは食べることもあるが、そのようなときは過食になる。

運動が良いと言われるが、運動は嫌いである。

レーシングカートを運転するのは、かなりのイライラ解決法に思えるが、毎日できるわけがなく、そもそもレーシングカートをもっていない。持ったとしても維持が大変だ。

金もかかる。

金もかけずに、となると、お寺や神社や森に行く、という方法くらいしか思いつかない。実はこれらの方法は、名越康文氏と養老孟司氏の対談本に書いてあったはずなので、私が思いついたわけではないが。

そして、私の生活圏内で、お寺や神社、森とは具体的にどこなのか。

そこへ行くだけで良いのか。今は寒いので、業務後にそのようなところは行っても・・・という面倒な気持ちがわく。それに残業で遅くなった後に、真っ暗なお寺や神社、森には積極的に行こうと思わず(挙動不審で職質に合いそうだし。変質者に会うかもしれないし)、自分でくるくるするばかりである。

「お酒は適量に(ほどほどに)」は、無理があるから、逆に危険な標語だ。気を付けろ!

中島らも氏は、とてもアルコールに強い体だったそうだ。アルコールに対するストッパーがほとんどないから、いくらでも吞めてしまうとのことだった。

アルコールが怖いのは、脳に作用したとき、自制が効きにくくなる(というより、ほぼできなくなると考えた方が良い。「酔っている状態で自制できている」という状態は、酔っている状態が前提で自制している(酔った状態での自制と、シラフのときの自制は、違いがあるはず)状態だから、ちょっと嘘や無理があるぞ・・・)からだ。体の中のアルコールの濃度が高くなるほど、自制も緩くなり、ある時点までは吞めてしまう。そのある時点は人によって違う。私の場合は、寝てしまうということで、それ以上、体にアルコールが入ってこなくなる(ストッパーが働くようだ)わけだが、しかし同時に、通常では寝る場所でないところで寝てしまうから(公道やベンチや階段など)、別の危険(事故や事件に巻き込まれる)が出てくる。

「お酒は適量に」という言葉を見たり聞いたりしたときは、私のような人は、本当に騙されない(洗脳されない)よう注意した方が良い。何が適量だ!分かりもしねぇで!とも思う今日この頃でした。

アルコールは薬物である

アルコールは薬物と認識しないとダメだと思う。あるところを過ぎると意識や記憶がなくなる。20代の頃、急性アルコール中毒で救急車で運ばれたことがある。目が覚めると病院にいた。30代、40代でも、飲みすぎて、目が覚めると、とんでもないところで(公道で)寝ていたりしていた。そんなことを何度もやらかし、そのときは非常に後悔をするのだが、しばらくすると忘れ、すぐに晩酌を初め、休みで時間ができたり、飲み会があると、また深酒をし、同じことを繰り返してしまうのであった。

インターネットで調べてみると、こういう症状は、アルコール中毒ではないが、アルコール依存症であることが分かった。これはもっと注目されてもよいと思う。断酒をするしか解決法はないとのことだ。今も断酒を続けている。人生がつまらなくなったとは思わないが、薬物のアルコールが感じさせる酔いがないことがさみしい気もするが、その酔いはあくまでも薬物であるアルコールが脳に作用して感じさせている似非の幸福感や高揚感である。

記憶がなくなるほど飲んで、翌日起きたときのあの不安感は、その代償であろう。アルコールは薬物だ。これはもっと明確に意識しておかなければ、危険だ。

カバー時のアレンジ

『ピクニック』という童謡がある。(この曲名を検索するのに、「丘を越えて」とか「上を向いて」とか検索してしまったが、それぞれに有名な曲がある・・・)

ウィキペディアによると、曲はイギリス民謡であるが、大元の起源は、アメリカとのことである。

この曲を日本のロックバンド「WANIMA」がアレンジして、『やってみよう』というコマーシャルソングとしてカバーした。元の曲から、かなりアレンジされていて、童謡の感じというか古臭い感じがなくなっている印象を受けた。あと、初めて聴いたときは、その歌詞の内容から、HONDAのコマーシャルソングかと勘違いしたのだが、auのコマーシャルソングである。

ちなみに『やめてみよう』という歌詞を変えたバージョンのものもある。

 

サザンオールスターズの『いとしのエリ―』を、レイ・チャールズが『Ellie My Love』としてカバーしている(こちらもサントリーのウィスキー「ホワイト」のコマーシャル用にカバーしたものとのことだ)。これも曲調が原曲と違う。どっちも大変に良い曲だが、『Ellie My Love』の歌詞は、お酒のイメージと合わさると・・・

断酒

断酒をして7か月くらいだ。

酒が怖いのは、抑制が効かなくなることだ。

「お酒は、適量に吞みましょう」とか良く言われるが、

アルコールの作用で自分に対して抑制が効かなくなるので

適量に吞むことは不可能である。

 

自分に対して抑制が効かないから、

普段の自分がやらないことや言わないことをやってしまう。

シラフになってから苦しみと後悔がずっと残る。

忘れても、何かで思い出すことがある。残る。

 

街には、酒の広告をよく目にするし、どこでも気軽に酒が手に入る。

会社に行けば、歓送迎会、慰労会、飲み会と酒を飲む機会がある。

だからこそ酒は飲んではならないのである。

 

世の中には、酒を飲んではいけない人というのが一定数いる。

自分は、その中の一人であると認識できることがまず一歩だ。