「お酒は適量に(ほどほどに)」は、無理があるから、逆に危険な標語だ。気を付けろ!

中島らも氏は、とてもアルコールに強い体だったそうだ。アルコールに対するストッパーがほとんどないから、いくらでも吞めてしまうとのことだった。

アルコールが怖いのは、脳に作用したとき、自制が効きにくくなる(というより、ほぼできなくなると考えた方が良い。「酔っている状態で自制できている」という状態は、酔っている状態が前提で自制している(酔った状態での自制と、シラフのときの自制は、違いがあるはず)状態だから、ちょっと嘘や無理があるぞ・・・)からだ。体の中のアルコールの濃度が高くなるほど、自制も緩くなり、ある時点までは吞めてしまう。そのある時点は人によって違う。私の場合は、寝てしまうということで、それ以上、体にアルコールが入ってこなくなる(ストッパーが働くようだ)わけだが、しかし同時に、通常では寝る場所でないところで寝てしまうから(公道やベンチや階段など)、別の危険(事故や事件に巻き込まれる)が出てくる。

「お酒は適量に」という言葉を見たり聞いたりしたときは、私のような人は、本当に騙されない(洗脳されない)よう注意した方が良い。何が適量だ!分かりもしねぇで!とも思う今日この頃でした。

アルコールは薬物である

アルコールは薬物と認識しないとダメだと思う。あるところを過ぎると意識や記憶がなくなる。20代の頃、急性アルコール中毒で救急車で運ばれたことがある。目が覚めると病院にいた。30代、40代でも、飲みすぎて、目が覚めると、とんでもないところで(公道で)寝ていたりしていた。そんなことを何度もやらかし、そのときは非常に後悔をするのだが、しばらくすると忘れ、すぐに晩酌を初め、休みで時間ができたり、飲み会があると、また深酒をし、同じことを繰り返してしまうのであった。

インターネットで調べてみると、こういう症状は、アルコール中毒ではないが、アルコール依存症であることが分かった。これはもっと注目されてもよいと思う。断酒をするしか解決法はないとのことだ。今も断酒を続けている。人生がつまらなくなったとは思わないが、薬物のアルコールが感じさせる酔いがないことがさみしい気もするが、その酔いはあくまでも薬物であるアルコールが脳に作用して感じさせている似非の幸福感や高揚感である。

記憶がなくなるほど飲んで、翌日起きたときのあの不安感は、その代償であろう。アルコールは薬物だ。これはもっと明確に意識しておかなければ、危険だ。

カバー時のアレンジ

『ピクニック』という童謡がある。(この曲名を検索するのに、「丘を越えて」とか「上を向いて」とか検索してしまったが、それぞれに有名な曲がある・・・)

ウィキペディアによると、曲はイギリス民謡であるが、大元の起源は、アメリカとのことである。

この曲を日本のロックバンド「WANIMA」がアレンジして、『やってみよう』というコマーシャルソングとしてカバーした。元の曲から、かなりアレンジされていて、童謡の感じというか古臭い感じがなくなっている印象を受けた。あと、初めて聴いたときは、その歌詞の内容から、HONDAのコマーシャルソングかと勘違いしたのだが、auのコマーシャルソングである。

ちなみに『やめてみよう』という歌詞を変えたバージョンのものもある。

 

サザンオールスターズの『いとしのエリ―』を、レイ・チャールズが『Ellie My Love』としてカバーしている(こちらもサントリーのウィスキー「ホワイト」のコマーシャル用にカバーしたものとのことだ)。これも曲調が原曲と違う。どっちも大変に良い曲だが、『Ellie My Love』の歌詞は、お酒のイメージと合わさると・・・

断酒

断酒をして7か月くらいだ。

酒が怖いのは、抑制が効かなくなることだ。

「お酒は、適量に吞みましょう」とか良く言われるが、

アルコールの作用で自分に対して抑制が効かなくなるので

適量に吞むことは不可能である。

 

自分に対して抑制が効かないから、

普段の自分がやらないことや言わないことをやってしまう。

シラフになってから苦しみと後悔がずっと残る。

忘れても、何かで思い出すことがある。残る。

 

街には、酒の広告をよく目にするし、どこでも気軽に酒が手に入る。

会社に行けば、歓送迎会、慰労会、飲み会と酒を飲む機会がある。

だからこそ酒は飲んではならないのである。

 

世の中には、酒を飲んではいけない人というのが一定数いる。

自分は、その中の一人であると認識できることがまず一歩だ。

似ている音

石原裕次郎氏の『みんな誰かを愛してる』という曲がある。

出たしが電子音(だと思われる)で「ヒューーーーーン・・・」と始まる。

電車の走り始めのモーター音に似ている。

具体的には、小田急exeロマンスカーの車内で聞こえる発車時の音に似ている。

 

美人と可愛い人と視線が合ったとき

美人とか可愛い人が向こうから歩いてきたとき、視線がその人の顔へ無意識に向いてしまうことがある。ほとんどの場合、その美人か可愛い人と視線が合うことはないが、たまに合ってしまうことがある。その美人や可愛い人が仕事をしている恰好ならば、「知り合いかしら?」とか「取引先のお客さんかしら?」などと思われているのであろう。

 視線が合う場合に、もうひとつ考えられることは、私の顔に特大な鼻くそがついていて、それに対して視線が来ているということもありうる。よって、美人や可愛い人と視線が合ったときには、一応、手のひらで自分の顔をぬぐってみて、鼻くそなどが付いていないことを確認している。